HAIKU

2019.01.02
コミックス『モディリアーニにお願い』 

『モディリアーニにお願い』 相澤いくえ・著  小学館・刊

 

『モディリアーニにお願い』は、東北地方の、とある美術大学に通う三人の同級生が織りなす青春ドラマを描いたコミックスだ。壁画とガラスの千葉、日本画の本吉、洋画の藤本は、たった三人の男子生徒として、キャンパスで日々、創作に励んでいる。ガムシャラな千葉、天才肌の本吉、そして自分を平凡だと思っている藤本。彼らの美術への情熱と将来への不安が、主に“凡人の藤本”の視点によって語られることで、物語がとてもリアルに読み手に伝わってくる。

 

「自分には才能があるのか?」という問いかけや、「生きている内に評価を得たい」という願望は、画家のドラマとしては取り立てて新しいテーマではない。しかし、その青臭さを純度の高い人間ドラマに変換しているのは、作者・相澤いくえの独特のタッチの絵によるところが大きい。

イマドキのコミックスは、テクノロジーの進歩によって、スクリーントーン(注:背景の模様をいちいち描かないで済むように、模様がシールになっていて、貼って使う)はもちろん、コンピュータを駆使して描かれている。大量の原稿を素早く仕上げるには最適の方法だ。だが、『モディリアーニにお願い』は、1コマ1コマ、すべて作者の手描きによっている。その絵の温かさは、比類がない。細かい線には手描きならではの揺らぎあって、読み手によっては好き嫌いがあるかもしれないが、柔らかくて心のこもった絵の青臭さがそのまま作品の魅力となっている。

ちなみに作者の相澤自身、美大生であったようだ。現在、二十五才で、この『モディリアーニにお願い』で漫画家デビューを果たしている。彼女はきっと登場人物の三人の誰かに、自分の気持ちを仮託しているのだろう。そして三人に負けないくらい、誠実に1コマを描いている。

 

主人公の三人の関心事は、作品作りに自分が正直に向き合っているかということに尽きる。とはいえ、一途な千葉と天才の本吉はその問題をすでにクリアしているので、この点に悩むのはもっぱら藤本の役割だ。ときに三人は意見がぶつかり合う。ぶつかり合うときに、物語は輝きを放つ。

 

「向ふ家にかゞやき入りぬ石鹸玉」(季語:石鹸玉=しゃぼんだま 春)

「寒鴉己が影の上におりたちぬ」(季語:寒鴉 冬)

夭折の天才・芝不器男はこう詠んだ。二十代の若者の句としては、破格の落ち着きがある。その落ち着きの中に「かゞやき入りぬ」という青春性や、「己が影の上に」という若い内省がある。『モディリアーニにお願い』に登場する本吉も同様の資質を持っていて、大学生の時点で多くの賞を受賞しており、日本画界のホープとして注目を集める存在だが、他の二人とは対等の友人同士で、羨みや嫉妬も含めて隔てなく語り合う。

 

「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」(季語:牡丹 夏)

「尾へ抜けて寒鯉の身をはしる力」(季語:寒鯉 冬)

見えたモノを何が何でも俳句にしようとする、加藤楸邨の馬力を感じる句だ。上手下手を第一義とせず、真正面から事象と向き合う。同じく他人の評価を気にしない壁画の千葉は、徹夜もいとわず作品を作る。が、もしその作品が観る者を一人でも傷つけるのであれば、撤去する信念を持っている。理不尽な鑑賞者の意見に、他の二人が憤慨しても、動じない。

 

「己が体温になるまで冬の陶土粘る」(季語:冬)

「頬杖ながし青林檎ひとつ置き」(季語:青林檎 夏)

楸邨の妻である加藤知世子は、優れた共感性をもって、ひたむきな句を作る。「己が体温になるまで」は、言い得て妙。そのひたむきさは、洋画を志す藤本に通じる。

 

ある日、三人は授業でモディリアーニの伝記映画を観る。千葉は、生前は評価を受けなかったモディリアーニに、「親友のピカソがどんどん有名になっていくことが苦しくて辛かったのだろう」と感じる。対して本吉はその映画をピカソの視点で観て、せっかく才能があるのに、酒に溺れて絵を描かないモディリアーニに腹を立てる。大きなコンプレックスを抱えた藤本は、この二人を見て、さらにコンプレックスを深くする。それでも藤本は、「だけど絵を描きたいんだ」と思うに至るのだった。

 

どの句会にも、ガムシャラ俳人や天才俳人がいたりする。たくさん作る人、理屈抜きにセンスのいい人、先生の選を過剰に気にする人がいる。俳句を職業にしたい人はそれほどいないと思うが、職業にしなくとも、作句姿勢に関してこの“モディリアーニ三人組”のそれぞれのスタンスは興味深い。自分に素直に向かい合い、先生の評を気にしながらも、自作の狙いにこだわる。かといって、独りよがりに陥らない。あるいは友人同士の意見を尊重する。中でも創作姿勢に関して、三人がお互いに絶対の信頼を置いている点に感動する。

『モディリアーニにお願い』は、現在もビッグコミック増刊号に連載中で、単行本は第三巻まで出ている。手描きゆえにどうしても筆の進みが遅いので、連載は不定期だが、ファンとしては丁寧な画風を維持して欲しいと願う。久々に次の掲載が楽しみなコミックスだ。

今年もこの三人組に負けず、俳句を楽しみましょう。

「好きな絵の売れずにあれば草紅葉 田中裕明」(季語:草紅葉 秋)

 

(俳句結社誌『鴻』2019年1月号より加筆・転載)

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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コミックス『モディリアーニにお願い』 

『モディリアーニにお願い』 相澤いくえ・著  小学館・刊

 

『モディリアーニにお願い』は、東北地方の、とある美術大学に通う三人の同級生が織りなす青春ドラマを描いたコミックスだ。壁画とガラスの千葉、日本画の本吉、洋画の藤本は、たった三人の男子生徒として、キャンパスで日々、創作に励んでいる。ガムシャラな千葉、天才肌の本吉、そして自分を平凡だと思っている藤本。彼らの美術への情熱と将来への不安が、主に“凡人の藤本”の視点によって語られることで、物語がとてもリアルに読み手に伝わってくる。

 

「自分には才能があるのか?」という問いかけや、「生きている内に評価を得たい」という願望は、画家のドラマとしては取り立てて新しいテーマではない。しかし、その青臭さを純度の高い人間ドラマに変換しているのは、作者・相澤いくえの独特のタッチの絵によるところが大きい。

イマドキのコミックスは、テクノロジーの進歩によって、スクリーントーン(注:背景の模様をいちいち描かないで済むように、模様がシールになっていて、貼って使う)はもちろん、コンピュータを駆使して描かれている。大量の原稿を素早く仕上げるには最適の方法だ。だが、『モディリアーニにお願い』は、1コマ1コマ、すべて作者の手描きによっている。その絵の温かさは、比類がない。細かい線には手描きならではの揺らぎあって、読み手によっては好き嫌いがあるかもしれないが、柔らかくて心のこもった絵の青臭さがそのまま作品の魅力となっている。

ちなみに作者の相澤自身、美大生であったようだ。現在、二十五才で、この『モディリアーニにお願い』で漫画家デビューを果たしている。彼女はきっと登場人物の三人の誰かに、自分の気持ちを仮託しているのだろう。そして三人に負けないくらい、誠実に1コマを描いている。

 

主人公の三人の関心事は、作品作りに自分が正直に向き合っているかということに尽きる。とはいえ、一途な千葉と天才の本吉はその問題をすでにクリアしているので、この点に悩むのはもっぱら藤本の役割だ。ときに三人は意見がぶつかり合う。ぶつかり合うときに、物語は輝きを放つ。

 

「向ふ家にかゞやき入りぬ石鹸玉」(季語:石鹸玉=しゃぼんだま 春)

「寒鴉己が影の上におりたちぬ」(季語:寒鴉 冬)

夭折の天才・芝不器男はこう詠んだ。二十代の若者の句としては、破格の落ち着きがある。その落ち着きの中に「かゞやき入りぬ」という青春性や、「己が影の上に」という若い内省がある。『モディリアーニにお願い』に登場する本吉も同様の資質を持っていて、大学生の時点で多くの賞を受賞しており、日本画界のホープとして注目を集める存在だが、他の二人とは対等の友人同士で、羨みや嫉妬も含めて隔てなく語り合う。

 

「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」(季語:牡丹 夏)

「尾へ抜けて寒鯉の身をはしる力」(季語:寒鯉 冬)

見えたモノを何が何でも俳句にしようとする、加藤楸邨の馬力を感じる句だ。上手下手を第一義とせず、真正面から事象と向き合う。同じく他人の評価を気にしない壁画の千葉は、徹夜もいとわず作品を作る。が、もしその作品が観る者を一人でも傷つけるのであれば、撤去する信念を持っている。理不尽な鑑賞者の意見に、他の二人が憤慨しても、動じない。

 

「己が体温になるまで冬の陶土粘る」(季語:冬)

「頬杖ながし青林檎ひとつ置き」(季語:青林檎 夏)

楸邨の妻である加藤知世子は、優れた共感性をもって、ひたむきな句を作る。「己が体温になるまで」は、言い得て妙。そのひたむきさは、洋画を志す藤本に通じる。

 

ある日、三人は授業でモディリアーニの伝記映画を観る。千葉は、生前は評価を受けなかったモディリアーニに、「親友のピカソがどんどん有名になっていくことが苦しくて辛かったのだろう」と感じる。対して本吉はその映画をピカソの視点で観て、せっかく才能があるのに、酒に溺れて絵を描かないモディリアーニに腹を立てる。大きなコンプレックスを抱えた藤本は、この二人を見て、さらにコンプレックスを深くする。それでも藤本は、「だけど絵を描きたいんだ」と思うに至るのだった。

 

どの句会にも、ガムシャラ俳人や天才俳人がいたりする。たくさん作る人、理屈抜きにセンスのいい人、先生の選を過剰に気にする人がいる。俳句を職業にしたい人はそれほどいないと思うが、職業にしなくとも、作句姿勢に関してこの“モディリアーニ三人組”のそれぞれのスタンスは興味深い。自分に素直に向かい合い、先生の評を気にしながらも、自作の狙いにこだわる。かといって、独りよがりに陥らない。あるいは友人同士の意見を尊重する。中でも創作姿勢に関して、三人がお互いに絶対の信頼を置いている点に感動する。

『モディリアーニにお願い』は、現在もビッグコミック増刊号に連載中で、単行本は第三巻まで出ている。手描きゆえにどうしても筆の進みが遅いので、連載は不定期だが、ファンとしては丁寧な画風を維持して欲しいと願う。久々に次の掲載が楽しみなコミックスだ。

今年もこの三人組に負けず、俳句を楽しみましょう。

「好きな絵の売れずにあれば草紅葉 田中裕明」(季語:草紅葉 秋)

 

(俳句結社誌『鴻』2019年1月号より加筆・転載)

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店