『須賀敦子全集 第1巻』 須賀敦子・著 河出書房新社・刊
ウィルスで騒然としている今は、シブい一冊を読む絶好の機会かもしれない。今回、紹介する須賀敦子は1980年代から90年代にかけて活躍した優れた女性エッセイストである。以前、取り上げたブレイディみかこがアイルランド人と結婚してイギリスに在住しながら、リアルタイムの生活感を書きつづっているのに対して、須賀はイタリア人と結婚してミラノに住んだ。
須賀が変わっているのは、夫の死後、日本に帰国して二十年近く経ってからイタリアでの生活を書き始めたことだ。そのとき、須賀は五十代後半に差し掛かっていた。なぜそうなったのかにはいろいろな理由があるのだが、長い期間、記憶に留めたことで、見聞きした事象は整理され、変容し、美しい文章で表わされることになる。ブレイディのようなリアルタイム=即時性は失われるが、その分、官能的な表現の度が増し、それは時に衰退期のイタリアの甘美さを描くのにふさわしい武器となった。この“熟成された記憶”が、須賀のエッセイの最大の魅力となっている。
須賀は1929年、兵庫県芦屋市に生まれ、東京の裕福な家庭に育った。聖心女子大学を卒業後、パリに留学。その後、イタリアに渡って、ミラノのコルシア・ディ・セルヴィ書店に勤務し、そこで知り合った貧しい鉄道員の息子ペッピーノと結婚する。コルシア書店はカトリック左派運動の拠点で、出版事業も行なっていた。そこで須賀は夫と協力して、夏目漱石や泉鏡花などの小説のイタリア語訳に励む。今回、取り上げた『須賀敦子全集 第1巻』には、その頃の暮しを描いた彼女の代表的エッセイ「ミラノ 霧の風景」や「コルシア書店の仲間たち」が収められている。
須賀は彼の地で初めて貧乏な暮しを体験する。同時に、情熱的に生きる人々との交流が育まれた。それゆえ須賀の青春時代の記憶は、貧しさと夢が交錯するロマンティックなものとなった。たとえばペッピーノと一緒に結婚指輪を買いに行くエピソードが興味深い。
友人に紹介された宝石店は、裏ぶれた通りの古い建物の一室にあった。繁華街の豪勢な貴金属店に行くものと想像していた須賀は、少し不安になる。だが、その店が勧めてくれたのは、リーズナブルで納得のいく指輪だった。そこで須賀は、ヨーロッパの古い街の秘密を知ることになる。伝統的な支配階級の人々は、先祖代々の宝石類をたくさん持っているから、それらを用途に応じて細工し直して使う。新興成金たちがギラギラした店で買うのは、彼らの家に元々宝石がないからなのだ。そのことを須賀は「私たちが母の形見のきものを仕立てかえさせたり、染めかえたりするように」と描写する。育ちのいい須賀が、イタリアの庶民と結婚したからこそ見える景色だ。
先ほど“熟成された記憶”と言ったのは、このあたりの表現のタッチを指す。もしリアルタイムでこのエピソードが書かれていたら、こうはなるまい。お金のない惨めさや、特権階級の人たちに対する反発が混じってしまうかもしれない。出来事から時間を置くことで感情的な角が取れ、比喩が的確になる。日本とイタリアという、歴史のある国の文化の共通点を見い出す慧眼は、時を経たからこそ得られたのだろう。
このエピソードが収められている「ミラノ 霧の風景」には、当然、霧のことが書いてある。その描写には須賀の観察力と洞察力が総動員されていて、読み応えがある。愛情のこもったミラノの描き方は、その土地を褒め称えることで敬意を表する“俳句の挨拶”に、とても似ている。須賀はプラタナス並木の太い幹さえ呑み込んでしまう、ミラノの霧が好きだという。
「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき 芭蕉」(季語:霧 秋)
せっかく富士山を望む名所に来たのに、霧が出ていて見えない。芭蕉はそれさえも面白いと詠った。霧の向こうにある富士を想像する楽しみの句と読むこともできるが、もしかすると芭蕉は富士山と同じくらい霧が好きだったのではあるまいか。
「冬霧やここらにありき数寄屋橋 近藤一鴻」(季語:冬霧 冬)
この句の作者もまた、霧の日の散策を楽しんでいる。都市の霧という意味では、芭蕉の句より、須賀の感じていることに近いかもしれない。
「朧夜がなにもない巣を抱いてゐる 小津夜景」(季語:朧夜 春)
小津もまた、須賀やブレイディと同じく南フランスにいて文筆活動をしている日本女性。きっと小津は「朧夜」が好きなのだろう、須賀にとっての霧のように。
須賀はまた、ミラノばかりでなく、旅したイタリアの各地をエッセイに遺している。中で、「舞台のうえのヴェネツィア」という章が秀逸だ。早春や夏のヴェネツィアを経験した須賀は、初めて観光客のいない冬のヴェネツィアを訪れた。小鳥ように囀っていた女性たちは、黒の長いマントとブーツに身を固めて寡黙に冬を過ごすのだった。
「芝居の季節はとっくに過ぎていたが、彼女たちは、登場人物であることを忘れず、しゃんと背筋をのばして(中略)黙々と足早に歩き去っていった」。この旅人としての一文に、須賀の本領を見る思いがする。ヴェネツィアという芝居がかった街の内実を、点描の絵のようなタッチで切り取っている。これもまた、熟成された記憶のなせるわざだと思う。そして、見事な挨拶になっている。まさに名エッセイである。
「さやうなら霧の彼方も深き霧 三橋鷹女」(季語:霧 秋)
俳句結社誌『鴻』2019年9月号 コラムON THE STREETより加筆転載