HAIKU

2022.01.15
『絶滅危惧動作図鑑』 籔本晶子・著  祥伝社・刊    

『絶滅危惧動作図鑑』 籔本晶子・著  祥伝社・刊    
「絶滅危惧動作」とは何だろう。著者でグラフィック・デザイナーの籔本晶子は言う。「時代とともに使う道具や生活様式が変われば、人の動きもまた、変わっていく。例えば100年後、今使っている道具や物は、資料として残っているかもしれないけれど、それを使っていた人の動作は、忘れられてしまっているのではないか。そんな時代とともに消えていくだろう『動作』に着目して、図鑑というかたちでまとめました」。
 言われてみれば、確かにそうだ。黒電話がなくなれば、ダイヤルを回す動作は消える。超薄型テレビはいくら叩いても直らないので、そんなことをする人はいなくなる。資料物としての黒電話やブラウン管テレビが残され、それらを使用する動作を記録した映像があったとしても、その動作の意味がわからない人が時とともに増えていくことは容易に想像できる。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水 加賀千代女」(季語:朝顔 秋) 
 この図鑑の第一章は「井戸水をくむ」から始まる。絶滅が危惧されるのはポンプ式井戸を汲む動作で、「朝顔や」の釣瓶(つるべ)式井戸はとっくに絶滅している。俳句には生活の動作がしばしば詠み込まれるが、動作によっては読者に意味の通じない、あるいは実感の湧かない事態が今後たくさん生まれるだろう(注:ちなみに「朝顔に」ではなく「朝顔や」としたのは、最新の加賀女研究から加賀地方では現在「や」が推奨されているため。「や」の方が俳句として優れている)。 
この図鑑の章立ては、絶滅の可能性の高い順に構成されている。「日常生活で見たこともない動作」を集めた第一章には、「井戸水」の他に「チャンネルを回す」や「体温計を振る」が挙げられている。それらを表わすイラストは、簡潔な線で描かれていて味わい深い。 
「鳥わたるこきこきこきと缶切れば 秋元不死男」(季語:鳥わたる 秋) 
「切株の鋸の挽き跡ひこばゆる 相川健」(季語:ひこばえ 春 切株や根から直接、新芽が出てくること)  
第二章は「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。「鳥わたる」は不死男の代表句ではあるが、パカンと開けるプルトップ缶が大半を占める今、テコの原理を使った缶切りでコキコキと缶の縁を切る機会はほとんどなくなってしまった。いまだに鳥は渡っているが、この句の感慨を共有できる読者は減る一方だろう。他には「鉛筆をナイフで削る」や「ハタキではたく」、「ノコギリで切る」動作も激減しているという。それでも「切株」のひこばえは、日本の山林が健全に運営されている限り絶滅はしないだろう。
「一本のマッチをすれば湖は霧 富沢赤黄男」(季語:霧 秋) 
 第三章は「あまり見なくなった動作」。「一本の」は手元を照らすマッチの光が、赤黄男の孤独感をも照らし出す。この句に触発されて寺山修司は有名な「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を詠んだ。この孤独感も「マッチをする」動作と共に消えゆくのかもしれない。
「吾子に買ふ片道切符風光る 志磨泉」(季語:風光る 春) 
 このあたりから第四章にかけて、図鑑には「えっ? それも絶滅するの」という動作が増えてくる。「携帯の電波を探す」や「切符を入れる」など、新しく生まれた動作もすでに絶滅が危惧されているというのだ。「切符を切る」が絶滅した後、切符は自動改札口に「入れる」ものになった。それが今では「タッチ」で済むのである。となると「吾子に買ふ」の親心はどこへ行ってしまうのだろうか。
著者の籔本は1994年生まれの二十代女性で、東京藝大時代にこの図鑑の元を作った。彼女こそデジタル時代の只中にあって、生まれては消えていく数多くの日常動作の目撃者なのだ。その本領は第五章で発揮される。
「吊革に手首まで入れ秋暑し 神蔵器」(季語:秋暑し 秋)  
「アイロンは汽船のかたち鳥曇 角谷昌子」(季語:鳥曇 春)
 「頻度が下がってきた動作」の第五章では、絶滅候補の日常動作がリストアップされる。「つり皮につかまる」は身につまされる。コロナ禍でリモート勤務が有効なことが立証された。それでも出社しろと命令する会社もかなりあるらしいが、籔本は「なくなって欲しい動作」だと言い切る。会社帰りの気怠さを詠んだ「手首まで」の句の評価は、接触感染の恐れのある現状では微妙になることだろう。逆に「アイロンをかける」は絶滅するかもしれないが、かえって「アイロン」の句のノスタルジーを増すことになるのが興味深い。
「男来て鍵開けてゐる雛の店 鈴木鷹夫」(季語:雛 春)
 最終章は「今は普通にやってるけど、今後なくなってもおかしくない動作」で、「靴ひもを結ぶ」や「鍵を閉める」が候補に挙げられている。鍵は指紋認証や携帯端末認証などに取って代わられそうだ。籔本は「鍵を閉める」は「やったかどうかを思い出しづらい動作であり、出かけてから確認のために家に戻ったことのある人も多いだろう」と書いている。それを踏まえて「男来て」の句を読むと、何やら厳かな感動が湧いてくる。
 「最近、あの“動き”しなくなったね」などと身の回りの絶滅動作に思いを馳せながら、今年も楽しく俳句に親しみましょう。
「りんごむくりりりりりりと皮つなぎ 丸松伸子」(季語:林檎 秋) 

俳句結社誌『鴻』2022年1月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2022.01.15
『絶滅危惧動作図鑑』 籔本晶子・著  祥伝社・刊    

『絶滅危惧動作図鑑』 籔本晶子・著  祥伝社・刊    
「絶滅危惧動作」とは何だろう。著者でグラフィック・デザイナーの籔本晶子は言う。「時代とともに使う道具や生活様式が変われば、人の動きもまた、変わっていく。例えば100年後、今使っている道具や物は、資料として残っているかもしれないけれど、それを使っていた人の動作は、忘れられてしまっているのではないか。そんな時代とともに消えていくだろう『動作』に着目して、図鑑というかたちでまとめました」。
 言われてみれば、確かにそうだ。黒電話がなくなれば、ダイヤルを回す動作は消える。超薄型テレビはいくら叩いても直らないので、そんなことをする人はいなくなる。資料物としての黒電話やブラウン管テレビが残され、それらを使用する動作を記録した映像があったとしても、その動作の意味がわからない人が時とともに増えていくことは容易に想像できる。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水 加賀千代女」(季語:朝顔 秋) 
 この図鑑の第一章は「井戸水をくむ」から始まる。絶滅が危惧されるのはポンプ式井戸を汲む動作で、「朝顔や」の釣瓶(つるべ)式井戸はとっくに絶滅している。俳句には生活の動作がしばしば詠み込まれるが、動作によっては読者に意味の通じない、あるいは実感の湧かない事態が今後たくさん生まれるだろう(注:ちなみに「朝顔に」ではなく「朝顔や」としたのは、最新の加賀女研究から加賀地方では現在「や」が推奨されているため。「や」の方が俳句として優れている)。 
この図鑑の章立ては、絶滅の可能性の高い順に構成されている。「日常生活で見たこともない動作」を集めた第一章には、「井戸水」の他に「チャンネルを回す」や「体温計を振る」が挙げられている。それらを表わすイラストは、簡潔な線で描かれていて味わい深い。 
「鳥わたるこきこきこきと缶切れば 秋元不死男」(季語:鳥わたる 秋) 
「切株の鋸の挽き跡ひこばゆる 相川健」(季語:ひこばえ 春 切株や根から直接、新芽が出てくること)  
第二章は「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。「鳥わたる」は不死男の代表句ではあるが、パカンと開けるプルトップ缶が大半を占める今、テコの原理を使った缶切りでコキコキと缶の縁を切る機会はほとんどなくなってしまった。いまだに鳥は渡っているが、この句の感慨を共有できる読者は減る一方だろう。他には「鉛筆をナイフで削る」や「ハタキではたく」、「ノコギリで切る」動作も激減しているという。それでも「切株」のひこばえは、日本の山林が健全に運営されている限り絶滅はしないだろう。
「一本のマッチをすれば湖は霧 富沢赤黄男」(季語:霧 秋) 
 第三章は「あまり見なくなった動作」。「一本の」は手元を照らすマッチの光が、赤黄男の孤独感をも照らし出す。この句に触発されて寺山修司は有名な「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を詠んだ。この孤独感も「マッチをする」動作と共に消えゆくのかもしれない。
「吾子に買ふ片道切符風光る 志磨泉」(季語:風光る 春) 
 このあたりから第四章にかけて、図鑑には「えっ? それも絶滅するの」という動作が増えてくる。「携帯の電波を探す」や「切符を入れる」など、新しく生まれた動作もすでに絶滅が危惧されているというのだ。「切符を切る」が絶滅した後、切符は自動改札口に「入れる」ものになった。それが今では「タッチ」で済むのである。となると「吾子に買ふ」の親心はどこへ行ってしまうのだろうか。
著者の籔本は1994年生まれの二十代女性で、東京藝大時代にこの図鑑の元を作った。彼女こそデジタル時代の只中にあって、生まれては消えていく数多くの日常動作の目撃者なのだ。その本領は第五章で発揮される。
「吊革に手首まで入れ秋暑し 神蔵器」(季語:秋暑し 秋)  
「アイロンは汽船のかたち鳥曇 角谷昌子」(季語:鳥曇 春)
 「頻度が下がってきた動作」の第五章では、絶滅候補の日常動作がリストアップされる。「つり皮につかまる」は身につまされる。コロナ禍でリモート勤務が有効なことが立証された。それでも出社しろと命令する会社もかなりあるらしいが、籔本は「なくなって欲しい動作」だと言い切る。会社帰りの気怠さを詠んだ「手首まで」の句の評価は、接触感染の恐れのある現状では微妙になることだろう。逆に「アイロンをかける」は絶滅するかもしれないが、かえって「アイロン」の句のノスタルジーを増すことになるのが興味深い。
「男来て鍵開けてゐる雛の店 鈴木鷹夫」(季語:雛 春)
 最終章は「今は普通にやってるけど、今後なくなってもおかしくない動作」で、「靴ひもを結ぶ」や「鍵を閉める」が候補に挙げられている。鍵は指紋認証や携帯端末認証などに取って代わられそうだ。籔本は「鍵を閉める」は「やったかどうかを思い出しづらい動作であり、出かけてから確認のために家に戻ったことのある人も多いだろう」と書いている。それを踏まえて「男来て」の句を読むと、何やら厳かな感動が湧いてくる。
 「最近、あの“動き”しなくなったね」などと身の回りの絶滅動作に思いを馳せながら、今年も楽しく俳句に親しみましょう。
「りんごむくりりりりりりと皮つなぎ 丸松伸子」(季語:林檎 秋) 

俳句結社誌『鴻』2022年1月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店