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2024.04.11
『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』 淡谷のり子・著 早川茉莉・編 河出書房新社・刊  

『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』
淡谷のり子・著 早川茉莉・編 河出書房新社・刊  
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』を楽しく観た。「ブギの女王」と称された笠置シヅ子をモデルにしたこのドラマは、戦後の流行歌の有り様を面白おかしく描いていて、毎朝、おおいに笑わせてもらった。
笠置シヅ子を下敷きにした福来スズ子役の趣里の歌や踊りは、予想をはるかに越えた好演で話題を呼んだ。また稀代の作曲家・服部良一を彷彿とさせる羽鳥善一役の草彅剛は、厳しい歌唱指導を見事に再現してみせた。喜劇王エノケンに当たる棚橋健二役の生瀬勝久も、エンターテイメントの機微をよく伝えていた。中でもいちばん惹かれたのは、淡谷のり子である茨田りつ子役の菊地凛子だった。彼女の迫真の演技にはたびたび見入ってしまった。ドラマの主人公の笠置シヅ子も魅力的なのだが、菊地の説得力のある芝居に触れて、僕は俄然、淡谷のり子に興味を持った。
淡谷は青森の大きな呉服屋に生まれた。店員は二、三十人、女中も十四、五人いたというから、かなりの大店だったらしい。本人によれば「私はそこのお嬢さんとして、裕福にわがままいっぱいの暮らしが許されていて、この世に貧しさというものが存在することすら知りませんでした」。そんなお嬢様が、どんな経緯で「ブルースの女王」になったのだろう。
今回、紹介する『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』は、淡谷が発表したいくつかのエッセイを編者がまとめたもので、淡谷の生い立ちや音楽への情熱、さらには人生観を知ることができる。彼女がどんなことを考えながら激動の時代を生き抜いてきたのか、また彼女の目に現代はどう映っていたのかなど、独特の価値観が披露されていて、一気呵成に読ませてもらった。
「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」(季語:夏痩せ 夏)
「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」(季語:初嵐 秋)
「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花」(季語:つわぶき 冬)
 三句とも三橋鷹女の作。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」で知られる鷹女だが、その激しい句風はどこか淡谷の生き様に通じるところがある。「夏痩せ」や「初嵐」の句の通り、言いたいことをはっきり言い、自分に正直に生きる。「嫌」という漢字をこれだけ多く使った俳人を他に知らない。ただし鷹女の句はどことなく窮屈な感じがするが、淡谷は酒も煙草もギャンブルも嗜んだというから豪快な人柄だったと思われる。
淡谷は少女時代に生家が傾いてしまい、母と東京に引っ越すことを余儀なくされ、貧乏暮らしが始まる。やがて母の勧めもあって声楽家を志すことになった。音楽大学を首席で卒業したが、生活のために流行歌手になり、世俗的な成功を収めたものの、大学の名簿からは抹消されてしまう。しかし淡谷はそれほど苦にしなかった。音大の恩師には申し訳なく思いながらも、淡谷はひたすら自分の道を歩む。クラシックを基本にしてジャズやシャンソンの日本語歌唱を目指した淡谷にとっては、「自分の歌の追求」が最優先だった。 
「日を追はぬ大向日葵(ひまわり)となりにけり」(季語:向日葵 夏)
「灯(ひとも)りぬ花より艷(あで)に花の影」(季語:花 春)
 二句とも竹下しづの女の作。スケールの大きな「日を追はぬ」の句は、まさしく女傑・淡谷に重なる。しづの女は句作において主観と客観に悩んだと伝えられているが、主観を貫く志は歌に命を懸けた淡谷と通底している。その上で「灯りぬ」の色気は、エンターテイメントとしての俳句の在り方をよく示している。
 ドラマ『ブギウギ』で最も興味深かったのは、戦時中の慰問公演の場面だった。「淡谷のり子の歌は頽廃的で、時局柄好もしからざるもの」と非難する軍部から、満州・中支・北支に慰問に行けと命令される。だが代表曲「別れのブルース」は放送禁止処分を受けていたから歌うことはできない。それでも上海を訪れた際、兵隊から「別れのブルース」を歌ってくれと懇願され、淡谷は罰を覚悟で歌ったのだった。すると公演を監視していた将校が廊下に出て、見て見ぬ振りをしてくれた。歌い終わると兵隊たちは涙を流し、廊下では将校も泣いていたという。
 その後、戦況がますます厳しくなると、今度は敵国向けプロパガンダ放送で歌えと軍部から命令が来た。東京ローズがDJを務める番組で淡谷は敵国の歌を歌うことになる。「聞いてくれる人の反応あってこその歌う喜びです。マイクに向けて、これも妨害電波で海の上に飛び散るかと思って歌うのは、表現しがたいほど空しいことでした」と淡谷は本書で述懐する。ドラマでも菊地凛子扮する淡谷が慰問公演での葛藤を語るシーンは鬼気迫るものがあり、強く印象に残っている。
「蛍籠昏(くら)ければ揺り炎えたたす」(季語:蛍籠 夏) 
「万緑やわが額(ぬか)にある鉄格子」(季語:万緑 夏) 
 二句とも橋本多佳子の作。矛盾を抱えながら歌う淡谷の姿勢と、「蛍籠」の句はどこかで呼応する。徹底的に表現を規制された歌手の額にもまた「鉄格子」が嵌められていたのだろう。
 淡谷は慰問公演でも黒いドレスをまとい、ハイヒールを履いてステージに立った。そして「生まれ変わったらパリジェンヌになりたい」と言い遺して、1999年に亡くなった。 
「小春日やりんりんと鳴る耳環欲し 黒田杏子」(季語:小春日 冬)
俳句結社誌『鴻』2024年4月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』 淡谷のり子・著 早川茉莉・編 河出書房新社・刊  

『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』
淡谷のり子・著 早川茉莉・編 河出書房新社・刊  
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』を楽しく観た。「ブギの女王」と称された笠置シヅ子をモデルにしたこのドラマは、戦後の流行歌の有り様を面白おかしく描いていて、毎朝、おおいに笑わせてもらった。
笠置シヅ子を下敷きにした福来スズ子役の趣里の歌や踊りは、予想をはるかに越えた好演で話題を呼んだ。また稀代の作曲家・服部良一を彷彿とさせる羽鳥善一役の草彅剛は、厳しい歌唱指導を見事に再現してみせた。喜劇王エノケンに当たる棚橋健二役の生瀬勝久も、エンターテイメントの機微をよく伝えていた。中でもいちばん惹かれたのは、淡谷のり子である茨田りつ子役の菊地凛子だった。彼女の迫真の演技にはたびたび見入ってしまった。ドラマの主人公の笠置シヅ子も魅力的なのだが、菊地の説得力のある芝居に触れて、僕は俄然、淡谷のり子に興味を持った。
淡谷は青森の大きな呉服屋に生まれた。店員は二、三十人、女中も十四、五人いたというから、かなりの大店だったらしい。本人によれば「私はそこのお嬢さんとして、裕福にわがままいっぱいの暮らしが許されていて、この世に貧しさというものが存在することすら知りませんでした」。そんなお嬢様が、どんな経緯で「ブルースの女王」になったのだろう。
今回、紹介する『生まれ変わったらパリジェンヌになりたい』は、淡谷が発表したいくつかのエッセイを編者がまとめたもので、淡谷の生い立ちや音楽への情熱、さらには人生観を知ることができる。彼女がどんなことを考えながら激動の時代を生き抜いてきたのか、また彼女の目に現代はどう映っていたのかなど、独特の価値観が披露されていて、一気呵成に読ませてもらった。
「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」(季語:夏痩せ 夏)
「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」(季語:初嵐 秋)
「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花」(季語:つわぶき 冬)
 三句とも三橋鷹女の作。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」で知られる鷹女だが、その激しい句風はどこか淡谷の生き様に通じるところがある。「夏痩せ」や「初嵐」の句の通り、言いたいことをはっきり言い、自分に正直に生きる。「嫌」という漢字をこれだけ多く使った俳人を他に知らない。ただし鷹女の句はどことなく窮屈な感じがするが、淡谷は酒も煙草もギャンブルも嗜んだというから豪快な人柄だったと思われる。
淡谷は少女時代に生家が傾いてしまい、母と東京に引っ越すことを余儀なくされ、貧乏暮らしが始まる。やがて母の勧めもあって声楽家を志すことになった。音楽大学を首席で卒業したが、生活のために流行歌手になり、世俗的な成功を収めたものの、大学の名簿からは抹消されてしまう。しかし淡谷はそれほど苦にしなかった。音大の恩師には申し訳なく思いながらも、淡谷はひたすら自分の道を歩む。クラシックを基本にしてジャズやシャンソンの日本語歌唱を目指した淡谷にとっては、「自分の歌の追求」が最優先だった。 
「日を追はぬ大向日葵(ひまわり)となりにけり」(季語:向日葵 夏)
「灯(ひとも)りぬ花より艷(あで)に花の影」(季語:花 春)
 二句とも竹下しづの女の作。スケールの大きな「日を追はぬ」の句は、まさしく女傑・淡谷に重なる。しづの女は句作において主観と客観に悩んだと伝えられているが、主観を貫く志は歌に命を懸けた淡谷と通底している。その上で「灯りぬ」の色気は、エンターテイメントとしての俳句の在り方をよく示している。
 ドラマ『ブギウギ』で最も興味深かったのは、戦時中の慰問公演の場面だった。「淡谷のり子の歌は頽廃的で、時局柄好もしからざるもの」と非難する軍部から、満州・中支・北支に慰問に行けと命令される。だが代表曲「別れのブルース」は放送禁止処分を受けていたから歌うことはできない。それでも上海を訪れた際、兵隊から「別れのブルース」を歌ってくれと懇願され、淡谷は罰を覚悟で歌ったのだった。すると公演を監視していた将校が廊下に出て、見て見ぬ振りをしてくれた。歌い終わると兵隊たちは涙を流し、廊下では将校も泣いていたという。
 その後、戦況がますます厳しくなると、今度は敵国向けプロパガンダ放送で歌えと軍部から命令が来た。東京ローズがDJを務める番組で淡谷は敵国の歌を歌うことになる。「聞いてくれる人の反応あってこその歌う喜びです。マイクに向けて、これも妨害電波で海の上に飛び散るかと思って歌うのは、表現しがたいほど空しいことでした」と淡谷は本書で述懐する。ドラマでも菊地凛子扮する淡谷が慰問公演での葛藤を語るシーンは鬼気迫るものがあり、強く印象に残っている。
「蛍籠昏(くら)ければ揺り炎えたたす」(季語:蛍籠 夏) 
「万緑やわが額(ぬか)にある鉄格子」(季語:万緑 夏) 
 二句とも橋本多佳子の作。矛盾を抱えながら歌う淡谷の姿勢と、「蛍籠」の句はどこかで呼応する。徹底的に表現を規制された歌手の額にもまた「鉄格子」が嵌められていたのだろう。
 淡谷は慰問公演でも黒いドレスをまとい、ハイヒールを履いてステージに立った。そして「生まれ変わったらパリジェンヌになりたい」と言い遺して、1999年に亡くなった。 
「小春日やりんりんと鳴る耳環欲し 黒田杏子」(季語:小春日 冬)
俳句結社誌『鴻』2024年4月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店