HAIKU

2024.08.24
『フロンティアーズ ヒトはなぜ歌うのか』 NHK-BS

『フロンティアーズ ヒトはなぜ歌うのか』 NHK-BS
 先日、NHK―BSで興味深い番組が放送された。最新の科学技術を基に様々な事象の解明に挑むシリーズ『フロンティアーズ』で、テーマは「ヒトはなぜ歌うのか」だった。
かつてダーウィンは言った。「音楽は生きるために直接の役には立たない。それなのに、ヒトはなぜ歌うのか?」。対してアムステルダム大学音楽認知学教授のヘンキャン・ホーニングは「ほとんどの人は『音楽は文化的なもので、本質ではない。ただのオマケだ』と言うだろう。だが本当にそうなのか。なぜ音楽は記憶に残り、言葉は消えるのか。それが大きな謎なのです」と語る。
 認知症患者が家族の顔や言葉を忘れても、若い頃に聴いた歌を忘れないことを導入部にして、番組は進む。最終的に研究者たちはアフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民“カバ族”の暮らしに行き着き、「ヒトはなぜ歌うのか?」という謎を解いていく。以前はピグミーと呼ばれていたこの部族は、ほぼ一日中、歌っている。観察の結果、バカ族の日常では音楽が言語よりも大事な意味を持ち、彼らは十~二十万年前のDNAを色濃く残していることが判明したのだった。 
 このバカ族の話はとても勉強になった。だがそれ以上に僕が面白いと感じたのは、番組導入部の「認知症と音楽の関係」だった。僕が母の介護をしていたとき、足元も言葉もおぼつかなくなった母が「東京音頭」が流れてきた途端に歌い、踊り出したので驚いた経験がある。なぜそんなことが起こるのか。  
 イギリスの元電車運転手のトミーさんは、医者からアルツハイマー型認知症の記憶障害と診断された。「一人でいると認知症が私をどこかに連れ去ろうとする。普通に会話することがとても難しい。いちばん孤独を感じるのは、誰も私に話しかけてこない時だ。自分が透明人間になってしまった気がする」。彼の妻は「彼は一日中、何もしません。ただ座っているだけ。私に話しかけてもこない。共感する心を失ってしまったのです。私たち夫婦から現実は消えました」。 
 この深刻な事態を救ったのは、若年性アルツハイマーのポールさんだった。トミーさんとは認知症患者の会で知り合い、二人はビートルズが好きという縁で友情が芽生えた。トミーさんは「私たちは共感し合える相手がいる心地よさを知った。同情ではなく、共感だ」と語る 。
二人は一緒に曲を作ろうとするが、作ってもすぐ忘れてしまうので、急いでメモを取らなければならない。一方で「ビートルズの歌は何年たってもすべての歌詞を全部憶えてます」とポールさん。「ビートルズを聴くと頭のカーテンが開き、光が差し込む気がします。元の世界に戻ってきた気がするんです。言葉は忘れても、リズムは頭から消えません」とトミーさん。  
二人は月二回、認知症患者の会でビートルズを歌うようになった。たとえば「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という曲を歌うと、表情の乏しかった患者たちは一変し、たちまち笑顔になる。♫君を愛する気持ちを伝えるには 一週間に八日あっても足りないよ♫と歌うリズミカルなこのナンバーを、患者たちは身体を揺すりながら歌い出す。「みんなが歌って踊ってくれる。それが私の癒やしになっている。私を幸せにしてくれる」とトミーさん。彼は歌うことで妻への共感も取り戻したのだった。 
臨床心理士のサラさんは「トミーさんとポールさんは十年以上、認知症を患っているようには見えません。彼らを活動的に保っている可能性のひとつは音楽です。音楽には何か“特別な力”があるのかもしれません」。脳科学者たちはこぞって「リズムにその秘密がありそうだ」と語るのだった。  
そしてこの“特別な力”に、僕は思い当たることがあった。三年前から高知の方々とZOOM句会を行なっているのだが、ある日、メンバーの一人、愛グラントさんがクモ膜下出血で倒れてしまった。奇跡的に一命は取り留めたが、言語能力に不具合が残った。愛さんが選んだリハビリのひとつが俳句だった。思ったことを五七五のリズムに整えたり、季語の選択などをしていると、不思議に脳がスッキリするのを感じたという。話を聞いてみると、韻文である俳句は単なる言葉の羅列とは違う角度から脳を活性化させるようだ。愛さんは脳出血経験者として、自身のリハビリの経緯を脳卒中患者や患者を支える家族たちに今も伝え続けている。
「ICUにも逢いにくる満月光 愛」(季語:満月 秋)
音楽は強烈に記憶に残る。では記憶に残る俳句とはどんなものなのか? そしてそれは認知症で言葉を失った後も人間の記憶を揺さぶることができるのか。  
「大海の磯もとどろに寄する浪われてくだけて裂けて散るかも 源実朝」
 中学生の頃に出会ったこの和歌は、後半の美しいリズムによってずっと僕の心に残っている。
「うつくしき顔かく雉子の距(ケヅメ)かな 其角」(季語:雉子 春) 
 俳句を始めてすぐに出会った「カ行」の韻律が印象的なこの句も、忘れることができない。リズムの観点から俳句を見直してみると、面白いことを発見できるかもしれない。
「天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫」(季語:天使魚 エンゼルフィッシュ 夏) 

             俳句結社誌『鴻』2024年7月号より加筆転載 

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2024.08.24
『フロンティアーズ ヒトはなぜ歌うのか』 NHK-BS

『フロンティアーズ ヒトはなぜ歌うのか』 NHK-BS
 先日、NHK―BSで興味深い番組が放送された。最新の科学技術を基に様々な事象の解明に挑むシリーズ『フロンティアーズ』で、テーマは「ヒトはなぜ歌うのか」だった。
かつてダーウィンは言った。「音楽は生きるために直接の役には立たない。それなのに、ヒトはなぜ歌うのか?」。対してアムステルダム大学音楽認知学教授のヘンキャン・ホーニングは「ほとんどの人は『音楽は文化的なもので、本質ではない。ただのオマケだ』と言うだろう。だが本当にそうなのか。なぜ音楽は記憶に残り、言葉は消えるのか。それが大きな謎なのです」と語る。
 認知症患者が家族の顔や言葉を忘れても、若い頃に聴いた歌を忘れないことを導入部にして、番組は進む。最終的に研究者たちはアフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民“カバ族”の暮らしに行き着き、「ヒトはなぜ歌うのか?」という謎を解いていく。以前はピグミーと呼ばれていたこの部族は、ほぼ一日中、歌っている。観察の結果、バカ族の日常では音楽が言語よりも大事な意味を持ち、彼らは十~二十万年前のDNAを色濃く残していることが判明したのだった。 
 このバカ族の話はとても勉強になった。だがそれ以上に僕が面白いと感じたのは、番組導入部の「認知症と音楽の関係」だった。僕が母の介護をしていたとき、足元も言葉もおぼつかなくなった母が「東京音頭」が流れてきた途端に歌い、踊り出したので驚いた経験がある。なぜそんなことが起こるのか。  
 イギリスの元電車運転手のトミーさんは、医者からアルツハイマー型認知症の記憶障害と診断された。「一人でいると認知症が私をどこかに連れ去ろうとする。普通に会話することがとても難しい。いちばん孤独を感じるのは、誰も私に話しかけてこない時だ。自分が透明人間になってしまった気がする」。彼の妻は「彼は一日中、何もしません。ただ座っているだけ。私に話しかけてもこない。共感する心を失ってしまったのです。私たち夫婦から現実は消えました」。 
 この深刻な事態を救ったのは、若年性アルツハイマーのポールさんだった。トミーさんとは認知症患者の会で知り合い、二人はビートルズが好きという縁で友情が芽生えた。トミーさんは「私たちは共感し合える相手がいる心地よさを知った。同情ではなく、共感だ」と語る 。
二人は一緒に曲を作ろうとするが、作ってもすぐ忘れてしまうので、急いでメモを取らなければならない。一方で「ビートルズの歌は何年たってもすべての歌詞を全部憶えてます」とポールさん。「ビートルズを聴くと頭のカーテンが開き、光が差し込む気がします。元の世界に戻ってきた気がするんです。言葉は忘れても、リズムは頭から消えません」とトミーさん。  
二人は月二回、認知症患者の会でビートルズを歌うようになった。たとえば「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という曲を歌うと、表情の乏しかった患者たちは一変し、たちまち笑顔になる。♫君を愛する気持ちを伝えるには 一週間に八日あっても足りないよ♫と歌うリズミカルなこのナンバーを、患者たちは身体を揺すりながら歌い出す。「みんなが歌って踊ってくれる。それが私の癒やしになっている。私を幸せにしてくれる」とトミーさん。彼は歌うことで妻への共感も取り戻したのだった。 
臨床心理士のサラさんは「トミーさんとポールさんは十年以上、認知症を患っているようには見えません。彼らを活動的に保っている可能性のひとつは音楽です。音楽には何か“特別な力”があるのかもしれません」。脳科学者たちはこぞって「リズムにその秘密がありそうだ」と語るのだった。  
そしてこの“特別な力”に、僕は思い当たることがあった。三年前から高知の方々とZOOM句会を行なっているのだが、ある日、メンバーの一人、愛グラントさんがクモ膜下出血で倒れてしまった。奇跡的に一命は取り留めたが、言語能力に不具合が残った。愛さんが選んだリハビリのひとつが俳句だった。思ったことを五七五のリズムに整えたり、季語の選択などをしていると、不思議に脳がスッキリするのを感じたという。話を聞いてみると、韻文である俳句は単なる言葉の羅列とは違う角度から脳を活性化させるようだ。愛さんは脳出血経験者として、自身のリハビリの経緯を脳卒中患者や患者を支える家族たちに今も伝え続けている。
「ICUにも逢いにくる満月光 愛」(季語:満月 秋)
音楽は強烈に記憶に残る。では記憶に残る俳句とはどんなものなのか? そしてそれは認知症で言葉を失った後も人間の記憶を揺さぶることができるのか。  
「大海の磯もとどろに寄する浪われてくだけて裂けて散るかも 源実朝」
 中学生の頃に出会ったこの和歌は、後半の美しいリズムによってずっと僕の心に残っている。
「うつくしき顔かく雉子の距(ケヅメ)かな 其角」(季語:雉子 春) 
 俳句を始めてすぐに出会った「カ行」の韻律が印象的なこの句も、忘れることができない。リズムの観点から俳句を見直してみると、面白いことを発見できるかもしれない。
「天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫」(季語:天使魚 エンゼルフィッシュ 夏) 

             俳句結社誌『鴻』2024年7月号より加筆転載 

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店