句集『金魚』 阪西敦子・著 ふらんす堂・刊
昨年も多くの句集が刊行されたが、中で阪西敦子氏の第一句集『金魚』に注目した。敦子氏のことは二◯一一年に出た『俳コレ』で初めて知った。『俳コレ』は期待の若手俳人を紹介する一冊で、その後、活躍している作家がたくさん取り上げられている。
「呼びもせぬエレベーター来神の留守 敦子」(季語:神の留守 冬)
呼んでもいないエレベーターが来て、扉が開いた。エレベーターには誰も乗っておらず、降りてくる人はいない。ふと「今月は神無月だ」という思いがよぎった。『俳コレ』に収録されていたこの句の季語の使い方がとても面白く、強く印象に残っていた。
敦子氏は一九七七年、神奈川県逗子市生まれ。祖母の影響で句作を始め、七才から「ホトトギス」に投句を開始。二〇〇八年より「ホトトギス」同人。並行して「円虹」に所属。二〇一〇年、日本伝統俳句協会新人賞を受賞。俳句のキャリアは四十年に及ぶので、『金魚』が第一句集というのは意外な感があるが、その『金魚』で敦子氏は第二回『稲畑汀子賞』奨励賞を受賞した。
「道訪ね慣れ白靴の一人旅」(季語:白靴 夏)
「秋蟬の体重たくぶつかり来」(季語:秋蟬 秋)
「秋雨にフランス人は傘ささず」(季語:秋雨 秋)
十八才から三十四才までの句を集めた章からの作品。「道訪ね」では「白靴の一人旅」というフレーズに若々しさが溢れている。「秋蟬の」は、秋蟬を「体重たく」という質量で捉えている点がユニークだ。「秋雨に」はフランス留学中の句だろうか。天気予報を見て折り畳み傘を用意する日本人と、雨を楽しむフランス人の感覚の相違を率直に述べている。
「煮凝をとらへて匙のたのしさよ」(季語:煮凝 にこごり 冬)
「魚抱きて磯巾着の静かなる」(季語:磯巾着 いそぎんちゃく 春)
「母の日の少女は口を開いて寝て」(季語:母の日 夏)
三十五才から三十九才までの章からの句。「煮凝を」はプルンとした食感以前に、それを口に運ぶ匙に着目している点に個性がある。「魚抱きて」は逗子生まれの氏ならではの観察。「母の日の」は、やがて母になるかも知れぬ少女の未来に期待をこめて夢想している。
「俎も菜箸もまた独活の香に」(季語:独活 うど 春)
「靴紐の解けやすさよ麦の秋」(季語:麦の秋 夏)
「階段に蜥蜴を残し出社せり」(季語:蜥蜴 とかげ 夏)
四十二才から四十五才の章からの句。「俎(まないた)も」はいよいよ敦子氏の生活が見えてくる。春の山菜を得て料理を楽しむ姿が浮かぶ。「靴紐の」では季語の「麦の秋」が句に見事な色彩を加える。「階段に」は蜥蜴と戯れた後の名残惜しさが可笑しみをもって描かれている。
「スクラムといふ枯芝の塊に」(季語:枯芝 冬)
「とびばこの五だんとべたよ春の風」(季語:春の風 春)
『金魚』には年齢順の章とは別に、ラグビーを詠んだ句だけの章がある。氏は自身で実際にプレイするほどのラグビー・ファンだという。「スクラム」を「枯芝の塊」と詠むリアリティには格別のものがある。また「ホトトギス」の「生徒・児童の部」への投句の章もあり、「とびばこの」の季語に「春の風」を選んだセンスは、その後の氏の俳句に繋がるものがある。
ここに揚げた句に総じて言えるのは、季語の扱いに独特のおおらかさがあることだ。「神の留守」も「白靴の一人旅」も魚を抱く「磯巾着」も、いわゆる“季語至上主義”とは一線を画す自由さがある。伝統俳句の枠に在りながら、感情をのびのびと描くことが敦子俳句の最大の魅力だろう。
「かぶと虫『少年ジャンプ』と交換す 原光生」(季語:かぶと虫 夏)
「夏終る踊り埴輪の欠けたる手 光生」(季語:夏終る 夏)
「弁当の笹の葉はづす梅日和 鈴木崇」(季語:梅 春)
「小春日やネクタイピンのよく光る 崇」(季語:小春日 冬)
「仲見世に飴切る響き冬御空 崇」(季語:冬)
原光生氏の『かぶと虫』も、昨年、刊行された句集だ。表題作となった句は、自分の獲った「かぶと虫」を人気漫画雑誌「少年ジャンプ」と交換したという少年時代の経験を詠んだと思われる。この交換において、主役は季語の「かぶと虫」ではなく、「少年ジャンプ」であり、そこに面白さが生まれている。「夏終る」は、踊っているように見える埴輪の手が欠けているという一句。光生氏の生まれた群馬県は埴輪の出土数が日本一で、子供の頃から見慣れた埴輪に対する愛情が季語の「夏終る」にしっかりと託されている。
鈴木崇氏は昨年の「鴻 俳句賞」受賞作家。「弁当の」の句は、笹の葉の緑と「梅」の紅色が好対照を成す。「ネクタイピン」はフォーマルな場を連想させるアクセサリーだが、季語を「小春日」とすることで温かみを添えている。反対に「仲見世に」は切飴という親しみやすい菓子に「冬御空」という季語を配することで、荘厳な下町の景を描写している。
光生氏にしても崇氏にしても、敦子氏と同様、季語の扱いにおおらかさがある。そこには若々しさやみづみづしさがあり、これからの俳壇に最も必要な要素なのではないかと思うのである。
あけましておめでとうございます。今年も俳句を楽しみましょう。
「また人に抜かれ春著のうれしさよ 敦子」(季語:春著 はるぎ 新年)
俳句結社誌『鴻』2025年1月号より加筆・転載