

『シン・百人一首 現代に置き換える超時空訳』
ピーター・J・マクミラン・著 月の舟・刊
著者のピーター・J・マクミランは『伊勢物語』や『百人一首』の英訳で知られるアイルランド人の研究者で、昨年、そうした功績により旭日小綬章を受賞した。好奇心旺盛で古典文学からポップ・カルチャーまでカバーするジャンルは幅広く、比較文化論的にも重要な存在である。
僕は昨秋、大垣でマクミラン氏と一緒に『おくのほそ道』講座を開催して意気投合。その際、彼の新刊『シン・百人一首 現代に置き換える超時空訳』に助言を求められたのだった。
マクミラン氏によれば、百人一首の時代と今の日常は想像以上に似ていて、和歌で表現されている情緒や感情は時も場所も超えて普遍的なものが多く、ほとんどの和歌は現代の表現に置き換えることができる。そこで百人一首の超時空訳、略して「超訳 百人一首」を作ってみたいという。ついては和歌から連想される日本の現代の歌=ポップスや歌謡曲を選定してくれないかという相談だったのでいくつか協力させてもらった。
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに 小野小町」
〈現代語訳〉桜の色も自分の花のような美しさも、色あせてしまった。春の長雨を眺めながら昔の恋のことで一人で物思いにふけっているうちに。
〈超訳〉私がおばあちゃんになっても
この本のページ構成はこんな感じだ。まず元になる一首があり、その現代語訳と超訳が併記される。その後にマクミラン氏の総合解説が入る。「歳を重ねていく女性の不安を詠った詩はたくさんある。それはアイルランドでも同じで、とても美しい神話の女神がいくつもの恋を重ね、やがて年老いて醜い老婆になってしまうという詩がある。小町伝説とこの詩はほぼ同時代の作品で、衰えていく美というのがいかに普遍的なテーマであるかを実感させられる」という。もちろん超訳のネタになっているのは森高千里のヒット曲「私がオバさんになっても」で、同じテーマがJーPOPでも歌われていることに僕は改めて気付かされたのだった。
「由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな 曾禰好忠」
〈現代語訳〉由良の流れの速い瀬戸を漕ぎ渡っていく船頭が、櫂をなくして流されていくように、どこへどう進むかもわからない、私の恋の道。
〈超訳〉 恋のナビは行き先不明
恋の行方を櫂を失くして流されていく舟にたとえているこの一首を、超訳は壊れたナビに置き換えている。この一首に対して僕は薬師丸ひろ子の「Woman~Wの悲劇~」という曲を推薦した。♫時の河を渡る船に オールはない 流されていく♫という歌詞(作詞:松本隆)が、この和歌にぴったり来る。またこの歌詞はジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの絵画「シャーロットの乙女」を彷彿とさせ、時代や国を超えて同質のロマンを感じさせる。
このように『シン・百人一首』は、古語、現代語、若者言葉を横断しながら和歌を味わい、さらにはポップスや絵画までを動員して百人一首の深層に入り込んでいく。
マクミラン氏は音楽好きで、自身でも和歌に通じる曲を選んで解説する。テイラー・スウィフトやロッド・スチュワートなどの洋楽の歌詞を引用したりする。一方で、インスタやLINEで使われる若者言葉も積極的に援用する。先にも書いたが、時代、国、世代、ジャンルを超えて百人一首が現代に紐解かれていく様は、想像以上にカラフルな世界を描き出す。マクミラン氏は異能の人と呼ぶべきだろう。
ちなみにマクミラン氏は、本書のタイトルの「シン」には「新しい」「心の」「真の」「深い」「神の」「芯の」という意味を含め、庵野秀明監督の映画『シン・ゴジラ』をオマージュしているとも語る。実際、この本を読むのは思いの外、スリリングな体験となる。
「嘆けとて月やは物を思はするかこちがほなるわが涙かな 西行法師」
〈現代語訳〉嘆き悲しめと言って、月が私に物思いをさせるのだろうか。そんなわけがないのに、まるで月に文句を言いたげな私の涙だ。
〈超訳〉ぜんぶ月のせいだ。
この超訳は十年ほど前のJR東日本のスキー旅行のコマーシャル・コピー「ぜんぶ雪のせいだ。」にちなんでいる。西行にテレビCMを合わせてくるマクミラン氏のセンスには脱帽する。そして僕はこの一首に友部正人というフォークシンガーの「一本道」という曲を選定した。夕焼を眺めながら好きな人のことを思い、♫ああ、中央線よ空を飛んで あの娘の胸に突き刺され♫と叫ぶように歌うこのナンバーは、「ぜんぶ夕焼のせいだ。」と言わんばかり。その意図を氏はしっかりと受け止め、本書で素晴らしい解説を書いているので読んでみるべし。
今回の氏とのコラボレーションは本当に意義深かった。俳句と和歌という短詩の縁で出会った人との共同作業は、時代や国籍を超えて愉快だった。
「夫の手の早きは恋の歌かるた 野口光枝」(季語:歌かるた 新年)
俳句結社誌『鴻』2025年3月号より加筆・転載