僕は音楽評論家という仕事柄、J-POPやJ-ROCKの歌詞を扱うことが多い。歌の詞というのは俳句にとても似ていて、通常の言葉の論理では成り立っていない。それは歌にはメロディとリズムがあるからで、論理的には無理のある歌詞でも、すんなり納得できることが多々ある。俳句もまた韻文であるので、同様の論理の飛躍がしばしば起こる。
たとえば井上陽水の作品「青空、ひとりきり」の♪仲良しこよしは 何だかあやしい 夕焼け小焼けは それより淋しい♪というフレーズは、完全に論理を逸脱している。だが歌として聴くと、するりと腑に落ちてしまう。
音楽を聴いていて、次の歌詞が容易に想像がついてしまうのは、あまり上等な歌とは言えない。俳句でも上五、中七と読んでいって下五が陳腐なものは、興を削がれてしまうのと同じことだ。つまり俳句も歌詞も、単なる説明ではなく、論理に飛躍があるものや非論理で成立するものなのだ。そのことを俳句では、“付く”とか“付かない”と言うのである。ありきたりの論理の所産である“付き過ぎの句”には心が騒がない。
ちなみに陽水は「青空、ひとりきり」のラストで♪涙の言葉で 濡れたくはない♪とも歌っている。ベタベタした叙情を拒否する陽水は、ある意味で、俳句に非常に近い感覚を持っている作家だ。
そしてJ-POP、J-ROCKシーンで最も俳句に近い歌詞を書いているのは、奥田民生だろう。彼はラブソング全盛の日本の音楽界にあって、ラブソング以外の歌詞に挑戦し続けている珍しい存在だ。彼の在籍するバンド“ユニコーン”を一躍有名にした曲「大迷惑」では、なんと単身赴任を題材にしている。また代表曲の「イージュー★ライダー」で、奥田は青春をたとえるのに、“気持ちのよい汗”、“枯れない涙”、“くだらないアイデア”、“やり抜く賢さ”、“眠らない身体”という意味深な言葉を羅列する。これらは俳句で言うなら、“付き過ぎない言葉”の群れだ。言葉同士の絶妙な間合いは、名句の呼吸に似ている。それこそリスナーはこの歌を聴いていて、次の歌詞の予想がつかない。そこに「イージュー★ライダー」の歌としての魅力がある。まさに前代未聞の作詞家だ。
民生も陽水も、乾いた叙情をもって“言葉の匠”となった。その奥底に俳句に通ずるものが流れているのは、非常に興味深い。そこに新しいメロディやリズムがつけられて現代的な作品となっている。
俳句界でも、そうした新しい韻律や論理を意識している作家たちがいる。
「滝壺を持たない滝や自爆テロ」
「ミニスカでボート漕ぐ人ありがたう」
これらは北大路翼の句だ。「滝壺」から「自爆テロ」にジャンプする飛距離が凄い。「ミニスカ」の句は「ありがたう」が効いていて、爆笑を誘う。
「あさがほのかたちで空を支へあふ」
「うららかを捧げもつ手の手ぶらかな」
これらは小津夜景の句。「あさがほ」の持つメロディ、「うららか」に内在するリズムが、とても新鮮だ。
音楽的俳句と俳句的音楽。素直な気持ちで触れれば、きっとどちらも人生を豊かにしてくれることだろう。