早くも北大路翼の新刊である。以前から翼が俳句入門書を書きたいと話していたので、楽しみにしていた。
田中裕明賞を受賞した第一句集『天使の涎(よだれ)』(二〇一五年)、第二句集『時の瘡蓋(かさぶた)』(二〇一七年)、編著『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派(しかばねは)」アウトロー俳句』(二〇一七年)と、俳人としては異例のペースでの刊行を続けてきた。本書『生き抜くための俳句塾』でもその勢いは止まらない。予見を越えた、型破りな入門書となっている。
この本は「俳人になるための心構え一○箇条」から始まる。普通の入門書は、まず俳句に親しむための心構えを説くものだが、“俳人になる心構え”から入るところがこの著者らしい。その第一は、感動できる心を回復することだという。技術だけを勉強しても無駄で、生き様が俳句になっていれば、「お前も今日から俳人だ」と言い切る。
この本で僕が最も面白かったのは、「俳句的脳内回路の作り方」の章だった。ここで翼の句の作り方の核心が、惜しげもなく明かされる。句の出発点を“モノ”に置く。このあたりは、加藤楸邨から今井聖へと連なる師系をしっかりと踏まえている。が、そこから連想を軸に句を作り上げる手法が、非常にユニークで興味深い。
五感をフルに使ってイメージを膨らませ、それらを組み合わせる手順をわかりやすく手解く。さらにはモノをシーンに広げ、シーンをストーリーに進化させていく。やがて一個のモノから、多くの句のバリエーションが生まれ、それを取捨選択して一句が出来上がる。奇想の句や面白い句、もちろん心にドスンと来る句が誕生するプロセスを見るのは、とても楽しい。
句を作る過程で浮かび上がるイメージが、多ければ多いほど、出来上がった句の余白が広がると翼は言う。推敲の途中で捨て去った言葉も、イメージの残像として残る。それが余白の量を決定するというのだ。たった十七文字しかない俳句が、豊かな表現方法であることの理由を、翼は独自の視点で分析する。僕もこの本の読後に“脳内回路”作成に挑戦してみたのだが、とても面白い結果が得られた。
また翼が初心者に向けて発明した、屍派独特の句会の進め方も紹介されている。おそらく史上最も簡便な句会の進行法なので、これも実践してみるといいと思う。
後半は、読み物として面白い章が並ぶ。「悩み別作句技法」は、人生相談の答を俳句で示す。たとえば「自分が誰だかわかりません」という自分探しの相談者には、
「髪洗ふ誰のものでもない私 翼」(季語:髪洗う 夏)の句を贈る。
「難病生活、死との向き合い方は」という相談者には、
「呼吸器と同じコンセントに聖樹 菊池洋勝」(季語:聖樹 冬 クリスマスツリーのこと)を紹介する。
加えて
「万緑や死は一弾を以て足る 上田五千石」(季語:万緑 夏)や
「月光にいのち死にゆくひとと寝る 多佳子」(季語:月光 秋)などの古今の名句を引いてみせる。
迫力があるのは「俺を変えた魂の二五句」の章だ。翼が惚れた句が次々と挙げられる。少年の頃、出会った種田山頭火や芭蕉は、誰もが知っている名句が選ばれている。しかし森澄雄の一句は
「枯るる貧しさ厠に妻の尿(しと)きこゆ」(季語:枯る 冬)だ。
一方で楸邨は
「山ざくら石の寂しさ極まりぬ」(季語:山ざくら 春)で、さすがと思わせる。
各句への翼の鑑賞は過剰なほど雄弁で、それもまた本書の読みどころの一つとなっている。
このように翼は、初心者の指導に関してずっと思い続けてきたことを、怒涛のごとく書き付ける。自分の手の内をすべてさらして、これから俳句を始めようという人に呼び掛ける。それは翼の俳句愛であり、俳句を通していろいろな人々に出会ってきた経験の集大成でもある。
翼は本拠地である俳句バー“砂の城”で、心や身体に傷を負った人々との句会を繰り広げ、俳句を媒介にして交流を重ねてきた。翼が唱えてきたのは、彼らの癒しになる俳句ではない。彼らが俳句で自分を表現することで、傷が傷痕として強化されたり、他人の傷にも興味を持つようになるという、最低限の生きる術だ。タイトルを“生き抜くため”としたのは、そんな思いがあるからだろう。
そして肝心なのは、翼は教えながら、教えられてきたということだ。彼の一大転換点となった屍派の創設(二○一一年)に参加した者は、ほとんどが俳句の素人だった。それゆえ、翼は彼らにイチから作句を教えることになった。いきなり実作指導から入ってみると、人間的魅力を持っている人はすぐに魅力的な句を作るようになった。翼はそれらの人間へ、ためらいなく敬意を払う。さらに翼は、句会で彼らの選や鑑賞に触れるうちに、新たな俳句の魅力と可能性を見い出していった。ここを起点として、俳句作家・北大路翼は開花していった。この本は屍派のリアルな成長記録であり、翼がそこから学んだことの集積なのだ。
読み終えて、つくづく思ったのは、「俳人とは何だろう」ということだった。「俳人になるための心構え一○箇条」を読んでも、それはわからない。だが、俳句と付き合う年月を重ねて、慣れが生じたり、新鮮さを見失っていると感じている人がいたら、本書を勧めたい。せっかく自分を語るために俳句を始めたのに、他人を意識し過ぎて型に捉われていたり、心の奥底にもやもやと蠢く感情から目を背けたりしているなら、リセットするために本書は有効だ。自分に対していま一度問いかけたいベテラン俳人にも、俳句に入門したい人にも、本書の帯の言葉を捧げたい。
「捨てるなよ、汚ねえ感情を。本当の詩は、世の中が捨てた中にある」。
『生き抜くための俳句塾』は、俳句入門書の形を借りた北大路翼の繊細でタフな人生論なのである。
「全人類を罵倒し赤き毛皮行く 柴田千晶」(季語:毛皮 冬)
俳句結社誌『鴻』2019年4月号 コラム“ON THE STREET”より加筆・転載