僕は音楽評論家を仕事にしていることもあって、J-ポップやJ-ロックの歌詞に現われる最新の日本語と俳句について考えることが多い。そしてロックと俳句について突然ひらめくことがあったので、書いてみたいと思う。
きっかけは最近、シンガーソングライター奥田民生のマネージャー原田公一氏と対談したことだった。原田氏は民生の在籍する“ユニコーン”の敏腕マネージャーとしてユニコーンをトップバンドに押し上げ、民生のソロ活動も手掛けきた人だ。
その対談で原田氏は、民生についての話の途中、松尾芭蕉の名前を挙げた。驚くと同時に、原田氏は僕と同様、民生に芭蕉の影を見ているのではと思い当たった。僕の心の中にあった“俳句とロック”というテーマが、俄かに具体性を帯びることになった。
原田氏は、芭蕉のライフスタイルにロックンロールと通じるものを感じてきたという。「おくのほそ道」や「野ざらし紀行」など、芭蕉は生涯を通じて旅の中で創作を続けた。その旅は、旅先で待つ人々の事情に従う謙虚なものだった。たとえば有力な弟子のいる場所では快適な寝所や食事が得られるが、そうでない場合は厩(うまや)や遊女宿で夜露をしのぐこともあった。「蚤虱馬の尿する枕もと」(のみ しらみ うまのばりする まくらもと)や「一家に遊女も寝たり萩と月」(ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)はそうした句である。
原田氏はロックバンドのコンサート・ツアーと、芭蕉の句作の旅を重ねる。「ロックンロールは流浪しながらやる音楽だと思う。それもワイルドな旅っていうか、トラベルはトラブルだし(笑)。旅もツアーもトラブルがいろいろ起きるんだけど、それを乗り越えていけば自信にもなるし、いい意味で力も抜けてくる。それはツアーをやっていないと身に付かないものだよね。奥田くんはそういうロックンロールの真髄の域までたどり着いていると思う。松尾芭蕉的に言うと、侘び寂びな感じまでいったんじゃない?」。
民生のアルバム『股旅』(1998年)には、「さすらい」という名曲が収められている。この歌は♪さすらおう この世界中を♪と呼びかけて始まり、♪風の先の終わりを見ていたらこうなった 雲の形をまにうけてしまった♪と続け、♪さすらいもしないで このまま死なねえぞ さすらおう♪と結ぶ。
僕はこの歌を聴いたとき、ある文章を思い出した。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。(中略)予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、」とは、芭蕉の『おくのほそ道』の有名な序文である。民生の代表曲「さすらい」は、明らかにこの序文から影響を受けている。ただし、民生にそのことを直接問うてみると、「俺は芭蕉なんて知らないよ」と答えた。だとすれば、原田氏が何らかの形でこの序文のコンセプトを民生に伝えたと想像できる。原田氏は、そうしたサジェスチョンがとても上手い人なのだ。
民生はソロ活動を始めてからずっと「俺の活動の2本柱は、アルバム作りとツアーだ」と言ってきた。通常、音楽界では歌手の目的は“ヒット曲作り”と相場が決まっているが、民生はあえてヒット曲=シングルではなく、アルバムを活動のメインに据えている。俳句で言えば、単発の句で受けを狙うのではなく、句集で自分の俳句を世に問う姿勢を取る。
もう一つの柱である“ツアー”とは、それらの作品を観客の前で演奏してコミュニケーションを交わす場であり、俳句で言えば全国各地で句会を開くようなものなのである。言い換えれば、芭蕉はアルバム=句集を作るために全国行脚をしていたわけだ。その地に身を置いて、土地の人と句会で交わり、作品集を作っていったのだ。原田氏の言うように、力を抜いて至上の境地に達する方法は、ツアー=旅を通して身に付けるしかない。この達観が、民生という稀有なアーティストを育てたのだと、僕はこの対談で確信した。
そうして最大の収穫は、僕が漠然と思ってきたロックと俳句の共通点は、もしかしたらロック・ミュージシャンと俳人の生き方にあるのではと気付けたことだった。一カ所に安住することなく、各地を巡りながら、土地土地の人間や自然と交わり続ける。権威に寄らず、平らな目線で作られる俳句や音楽が、人の心を打つのではないかと思う。もし民生が俳人だったら、「初旅や雲の形を真に受けて」なんてお正月の句を作っているかもしれない。
2015年50才になった民生は、11月に故郷・広島のマツダスタジアムでライブ“ひとり股旅スペシャル”を行なった。スタンドを埋めた3万人の観客に対して、民生はたった一人、弾き語りで応じる。地元のヒーローをひと目見ようと観客が詰めかけ、ライブは大成功を収めた。民生はそのライブを「さすらい」で締めくくったのだった。