HAIKU

2022.08.24
映画『PLAN 75』 早川千絵・監督 倍賞千恵子・主演 

映画『PLAN 75』 早川千絵・監督 倍賞千恵子・主演  

 今年は日本映画が次々と海外の賞を獲得している。濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞。今回、取り上げる『PLAN 75』はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、カメラドール特別表彰に輝いた。昨今の映画はCGなど映像技術の急激な進歩を反映してド派手な大作が多いが、日本の受賞作品は人間の内面を細密に描くところに長所があるのかもしれない。特に『PLAN 75』はささいな日常の描写が大半を占めるが、その積み重ね方に工夫が凝らされていて、非常に重厚な映画となっている。
 『PLAN 75』の舞台設定はとてもショッキングだ。少子高齢化が世界一速く進行する近未来の日本で、七十五歳から生死の選択権を本人に与える社会制度が施行された。申請すれば国家の支援のもとで安らかな最期を迎えられるという。若年層にのしかかる経済的負担を軽減するという名目で立法化された制度の名前は「PLAN 75」。その渦中を生きる人々の物語である。
 主人公は七十八歳の角谷ミチ。演じるのは倍賞千恵子だ。倍賞さんは最初に脚本を読んだとき、「衝撃を受けた」と語る。読後、すぐに出演を決めた。それはちょうど自分がどう生きてどう死ぬのかを考えていた時期で、ミチの生き方と重なる部分があったからだという。 
これまで彼女は多くの役をリアリティをもって演じてきた。たとえば山田洋次監督の『遙かなる山の呼び声』(八○年)では、ヒロインの民子とぴたりと重なり、役に生身の情熱と哀しみを与えた。その後も倍賞さんは多くの役を演じることを通して、同じ数だけの人生を経験してきた。今回、彼女にとって、困難な時代を生きる“老女ミチ”はどう映ったのだろう。非常にデリケートなストーリーだけに、自問自答を繰り返す撮影になったという。
「生くることやうやく楽し老の春 富安風生」(季語:老の春 新年) 
「老いたれば風船かづら吹いてみし 吉田鴻司」(季語:風船かづら 秋)
「老の春」の句は、風生八○才の時の作。それだけの齢を重ねた新年だからこそ訪れる、安寧な日々への感謝が詠われている。老いた本人だけでなく、長寿を尊ぶ社会があって成立する句でもある。「風船かづら」の句にも老いを楽しむ気分が詠まれている。風船かづらの紙風船のように膨らんだ果実は、思わず吹いて揺らしたくなる。老人の細い息でも十分に揺れてくれる愉快さを、我が師・鴻司は楽しんでいた。
しかし、尊厳死と称して老人を死に追いやる制度「PLAN 75」の前では、これらの句は無効となる。老いを楽しむことを許さない「PLAN 75」とは一体、何なのだろうか。自己責任論が幅を利かせる日本では各種の格差が拡大し、低所得者層や高齢者など、社会的弱者への共感や配慮が失われつつある。言ってみれば「PLAN 75」に繋がる風潮が今、社会を覆い始めている。  
そうした危機感が早川監督を突き動かして、この映画は制作された。高齢者問題以外にも、外国人労働者への差別や障害者施設殺傷事件なども映画の背景に織り込まれていて、フィクションでありながら現代日本の優れたドキュメンタリーにもなっている。 
「朝顔やひとはひとつの顔に老い 加藤楸邨」(季語:朝顔 秋)
正直、この句には賛成できない。確かに老いていく顔にはひとつの傾向があり、内面的にも次第に自他の区別が曖昧になる心理がある。しかし映画『PLAN 75』には、個性を保ちながら老いていく人間が多く登場する。主人公の角谷ミチは夫に先立たれるも、一人で健気に暮らしている。仕事はホテルの清掃員で、同僚は同世代の女性たちだ。黙々と仕事をこなし、つつましいながら幸せな時を分け合っている彼女たちの表情は豊かで、とても「ひとつの顔」にはくくれない。
『PLAN 75』では、制度の勧誘員や相談員としてコールセンターで働く若者たちの心象も丁寧に描かれている。彼らの親類縁者にも「PLAN 75」の対象者がいる。電話越しとはいえ触れ合ったことで生じる感情の揺れや疑問にも、深刻な問題が含まれている。老人介護施設で働くフィリピン人のマリアが、娘の手術代を捻出するためにより報酬の高い「PLAN 75」関連の施設に転職したり、今の日本の抱える問題がとてもリアルに描かれている。僕が見に行った時、映画館は満席で、観客の中には若い人たちが多く見受けられたのが頼もしかった。 
「葛咲くや心にいつも杖添へて 鴻司」(季語:葛咲く 秋)
そんな時代を踏まえてこの句を読むと、俳句という文芸の優しさがいっそう際立つ。
 それにしても倍賞さんの演技は見事である。日常生活のふとした場面で、スクリーンに顔や手の皺が克明に映し出される。女優としては大変な冒険だと思われるが、倍賞さんは臆さず演技に集中する。特にセリフのないシーンが秀逸で、指や顔を淡々と捉えた無言の映像が雄弁に語りだす。それは圧倒的に美しく、神聖な表現になっていた。 
「PLAN 75」での死を決意して施設に行くことにしたミチは、その不自然さに気づき、周囲の人間たちもそれぞれの心に従って動き出す。ミチの奥には確かに倍賞さんが存在している。ミチという役柄と、倍賞さんの気迫が溶け合って、老いだからこそ表現できる希望がそこに見えるのだった。 
「白樺の幹ぼつきりと冬を越す 飯川久子」(季語:冬)  

俳句結社誌『鴻』2022年8月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2022.08.24
映画『PLAN 75』 早川千絵・監督 倍賞千恵子・主演 

映画『PLAN 75』 早川千絵・監督 倍賞千恵子・主演  

 今年は日本映画が次々と海外の賞を獲得している。濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞。今回、取り上げる『PLAN 75』はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、カメラドール特別表彰に輝いた。昨今の映画はCGなど映像技術の急激な進歩を反映してド派手な大作が多いが、日本の受賞作品は人間の内面を細密に描くところに長所があるのかもしれない。特に『PLAN 75』はささいな日常の描写が大半を占めるが、その積み重ね方に工夫が凝らされていて、非常に重厚な映画となっている。
 『PLAN 75』の舞台設定はとてもショッキングだ。少子高齢化が世界一速く進行する近未来の日本で、七十五歳から生死の選択権を本人に与える社会制度が施行された。申請すれば国家の支援のもとで安らかな最期を迎えられるという。若年層にのしかかる経済的負担を軽減するという名目で立法化された制度の名前は「PLAN 75」。その渦中を生きる人々の物語である。
 主人公は七十八歳の角谷ミチ。演じるのは倍賞千恵子だ。倍賞さんは最初に脚本を読んだとき、「衝撃を受けた」と語る。読後、すぐに出演を決めた。それはちょうど自分がどう生きてどう死ぬのかを考えていた時期で、ミチの生き方と重なる部分があったからだという。 
これまで彼女は多くの役をリアリティをもって演じてきた。たとえば山田洋次監督の『遙かなる山の呼び声』(八○年)では、ヒロインの民子とぴたりと重なり、役に生身の情熱と哀しみを与えた。その後も倍賞さんは多くの役を演じることを通して、同じ数だけの人生を経験してきた。今回、彼女にとって、困難な時代を生きる“老女ミチ”はどう映ったのだろう。非常にデリケートなストーリーだけに、自問自答を繰り返す撮影になったという。
「生くることやうやく楽し老の春 富安風生」(季語:老の春 新年) 
「老いたれば風船かづら吹いてみし 吉田鴻司」(季語:風船かづら 秋)
「老の春」の句は、風生八○才の時の作。それだけの齢を重ねた新年だからこそ訪れる、安寧な日々への感謝が詠われている。老いた本人だけでなく、長寿を尊ぶ社会があって成立する句でもある。「風船かづら」の句にも老いを楽しむ気分が詠まれている。風船かづらの紙風船のように膨らんだ果実は、思わず吹いて揺らしたくなる。老人の細い息でも十分に揺れてくれる愉快さを、我が師・鴻司は楽しんでいた。
しかし、尊厳死と称して老人を死に追いやる制度「PLAN 75」の前では、これらの句は無効となる。老いを楽しむことを許さない「PLAN 75」とは一体、何なのだろうか。自己責任論が幅を利かせる日本では各種の格差が拡大し、低所得者層や高齢者など、社会的弱者への共感や配慮が失われつつある。言ってみれば「PLAN 75」に繋がる風潮が今、社会を覆い始めている。  
そうした危機感が早川監督を突き動かして、この映画は制作された。高齢者問題以外にも、外国人労働者への差別や障害者施設殺傷事件なども映画の背景に織り込まれていて、フィクションでありながら現代日本の優れたドキュメンタリーにもなっている。 
「朝顔やひとはひとつの顔に老い 加藤楸邨」(季語:朝顔 秋)
正直、この句には賛成できない。確かに老いていく顔にはひとつの傾向があり、内面的にも次第に自他の区別が曖昧になる心理がある。しかし映画『PLAN 75』には、個性を保ちながら老いていく人間が多く登場する。主人公の角谷ミチは夫に先立たれるも、一人で健気に暮らしている。仕事はホテルの清掃員で、同僚は同世代の女性たちだ。黙々と仕事をこなし、つつましいながら幸せな時を分け合っている彼女たちの表情は豊かで、とても「ひとつの顔」にはくくれない。
『PLAN 75』では、制度の勧誘員や相談員としてコールセンターで働く若者たちの心象も丁寧に描かれている。彼らの親類縁者にも「PLAN 75」の対象者がいる。電話越しとはいえ触れ合ったことで生じる感情の揺れや疑問にも、深刻な問題が含まれている。老人介護施設で働くフィリピン人のマリアが、娘の手術代を捻出するためにより報酬の高い「PLAN 75」関連の施設に転職したり、今の日本の抱える問題がとてもリアルに描かれている。僕が見に行った時、映画館は満席で、観客の中には若い人たちが多く見受けられたのが頼もしかった。 
「葛咲くや心にいつも杖添へて 鴻司」(季語:葛咲く 秋)
そんな時代を踏まえてこの句を読むと、俳句という文芸の優しさがいっそう際立つ。
 それにしても倍賞さんの演技は見事である。日常生活のふとした場面で、スクリーンに顔や手の皺が克明に映し出される。女優としては大変な冒険だと思われるが、倍賞さんは臆さず演技に集中する。特にセリフのないシーンが秀逸で、指や顔を淡々と捉えた無言の映像が雄弁に語りだす。それは圧倒的に美しく、神聖な表現になっていた。 
「PLAN 75」での死を決意して施設に行くことにしたミチは、その不自然さに気づき、周囲の人間たちもそれぞれの心に従って動き出す。ミチの奥には確かに倍賞さんが存在している。ミチという役柄と、倍賞さんの気迫が溶け合って、老いだからこそ表現できる希望がそこに見えるのだった。 
「白樺の幹ぼつきりと冬を越す 飯川久子」(季語:冬)  

俳句結社誌『鴻』2022年8月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店