HAIKU

2024.02.01
句集『ウクライナ、地下壕から届いた俳句』 ウラジスラバ・シモノバ・著 黛まどか・監修 集英社・刊 

句集『ウクライナ、地下壕から届いた俳句』 ウラジスラバ・シモノバ・著 黛まどか・監修 集英社・刊    
  
 謹賀新年、今年もよろしくお願いします。
 去年のこのコラムを振り返ってみると、ロシアによるウクライナ侵攻と生成AIを軸にして書いていたような気がする。加えて昨秋にはイスラエルとハマスの戦争が始まり、コロナ禍が明けたと喜ぶ暇もなく、世界は不安定な状態が続いている。日々の心持ちを詠む俳句にとってそうした世相が無関係であるはずはなく、今年も引き続き世の中と俳句の関係に注目して行きたいと思っている。
 昨年の一月号ではNHKでオンエアされたETV特集『戦禍の中のHAIKU』を取り上げた。それから一年が経った今回、先の番組に登場していたウクライナの俳人ウラジスラバ・シモノバさんの句集を紹介したいと思う。
「地下壕に紙飛行機や子らの春 ウラジスラバ」(季語:春) 
この句は二〇二二年五月に詠まれた本句集の代表作である。ロシアによる侵攻は二二年二月に始まったから、詠まれた当時のウクライナは大きな混乱の内にあったと思われる。大人はもちろん子供たちも戦時下の暮しを余儀なくされ、せっかく春が来たのに外で遊ぶこともできず、日の当たらない地下壕で紙飛行機を手に過ごすしかなかった。なんとも切ない一句である。
NHKの番組でこの句は、「子ら遊ぶ紙飛行機で防空壕 ブラジスラワ」となっていた。名前の発音はより原語に近く修正されたと思われる。その上で俳句として推敲が施されている。オリジナルは季語のない無季俳句だったのが、「春」という季語が追加され、俳句としての体裁は数段上がっている。この作業を行なったのは監修の黛まどか氏である。
ここでこの句集の成り立ちを説明しておこう。黛氏はウクライナ侵攻が開始された翌月の二二年三月に「俳句は世界一短い文学だが、思いが集まれば大きな言霊になり、停戦への一助になるのでは」という思いから「Haiku for Peace」というプロジェクトを立ち上げ、世界に投句を呼びかけた。すると四十八か国から千を超える句が寄せられた。その中にウラジスラバさんの句があった。 
興味を持った黛氏は早速連絡を取った。一九九九年、ハルキウ生まれのウラジスラバさんは十四才で芭蕉や蕪村に出会い、作句を始めてすでに七百句を詠んでいて、句集を出すのが夢だと知った。そこで黛氏は仲間の女性俳人と翻訳チームを結成。七か月かけて五十句を選び、翻訳と推敲を重ね、この句集を刊行するに至ったのだった。
「さくらさくら離れ離れになりゆけり」(季語:さくら 春)
 二〇十四年、ウラジスラバさんが十五才の時の作。俳句を始めて間もない頃のみずみずしさがある。一方でこの年にロシアはクリミア半島を編入。ウラジスラバさんは「戦争の風は人間という花をさらにひどく散らしてしまいました」と振り返る。
「屋根の上歩いてみたき月夜かな」(季語:月 秋)
 「さくらさくら」の句と同じ年の九月に詠まれた句。少女らしいファンタジックな描写がいい。
「葉先へとそして空へとてんと虫」(季語:てんとう虫 夏)
 二十一才の作。オーソドックスな写生句でありながら、ウクライナの景色を重ね合わせると、ウラジスラバさんの個性が見えてくる。
「冬の星あふれて灯火管制下」(季語:冬星)
 「紙飛行機」の句と同じく、侵攻が始まった当日に詠まれた句。灯火管制で暗くなったハルキウの空には無数の星がきらめいていた。「恐ろしい戦争が、私に、窓からこんな美しい風景を見る機会を与えたわけです」とウラジスラバさんはその夜の錯綜した思いを自解する。
「街の灯の消えハルキウの星月夜」(季語:星月夜 ほしづくよ 秋)
 「冬の星」の五か月後に詠まれたこの句は、テレビ番組では「星の光。街の灯空に去ったよう」と紹介されていた。ウラジスラバさんは俳句の伝統の型を守って、一行目は五音節、二行目は七音節、三行目は五音節という具合にロシア語で詠んだ。それを黛チームが翻訳、推敲したわけだが、とても難しい作業であっただろう。それでもなんとかウラジスラバさんの句意を活かそうという丁寧な仕事ぶりは称賛に価する。 
「いくたびも腕なき袖に触るる兵」(季語:無し)
 この句は「公園に兵士幾度も触れる空の袖」として紹介されていた。痛々しい出来事を、俳句として昇華することに成功している。これもまた黛チームの手柄だ。もちろんこの景を詠み留めたウラジスラバさんの感受性の素晴らしさは言うまでもない。 
「うつくしき空より飛来ロケット我らに」(季語:無し)
「砲撃後看板などで通り分からず」(季語:無し)
 両句とも番組で紹介されたが、句集には未収録となった。それは黛チームの選句の誠実さの表れだと思う。「うつくしき空」は、一読、鮮やかな色彩が浮かぶ。「砲撃後」には「街が顔を失ったのです」というウラジスラバさんの痛切なコメントがあり、句の奥行きが大変魅力的だ。これらの句がいつか翻訳されることを願いつつ、今後のウラジスラバさんの作句活動を楽しみに待ちたい。 
来る二月で侵攻は丸二年、ウクライナは戦時下三度目の春を迎えることになる。つくづく世界の平和を祈りたい。
「蜘蛛の巣の向かうの空よ明日は雨 ウラジスラバ」(季語:蜘蛛 夏)  

           俳句結社誌『鴻』2024年1月号 
            連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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句集『ウクライナ、地下壕から届いた俳句』 ウラジスラバ・シモノバ・著 黛まどか・監修 集英社・刊    
  
 謹賀新年、今年もよろしくお願いします。
 去年のこのコラムを振り返ってみると、ロシアによるウクライナ侵攻と生成AIを軸にして書いていたような気がする。加えて昨秋にはイスラエルとハマスの戦争が始まり、コロナ禍が明けたと喜ぶ暇もなく、世界は不安定な状態が続いている。日々の心持ちを詠む俳句にとってそうした世相が無関係であるはずはなく、今年も引き続き世の中と俳句の関係に注目して行きたいと思っている。
 昨年の一月号ではNHKでオンエアされたETV特集『戦禍の中のHAIKU』を取り上げた。それから一年が経った今回、先の番組に登場していたウクライナの俳人ウラジスラバ・シモノバさんの句集を紹介したいと思う。
「地下壕に紙飛行機や子らの春 ウラジスラバ」(季語:春) 
この句は二〇二二年五月に詠まれた本句集の代表作である。ロシアによる侵攻は二二年二月に始まったから、詠まれた当時のウクライナは大きな混乱の内にあったと思われる。大人はもちろん子供たちも戦時下の暮しを余儀なくされ、せっかく春が来たのに外で遊ぶこともできず、日の当たらない地下壕で紙飛行機を手に過ごすしかなかった。なんとも切ない一句である。
NHKの番組でこの句は、「子ら遊ぶ紙飛行機で防空壕 ブラジスラワ」となっていた。名前の発音はより原語に近く修正されたと思われる。その上で俳句として推敲が施されている。オリジナルは季語のない無季俳句だったのが、「春」という季語が追加され、俳句としての体裁は数段上がっている。この作業を行なったのは監修の黛まどか氏である。
ここでこの句集の成り立ちを説明しておこう。黛氏はウクライナ侵攻が開始された翌月の二二年三月に「俳句は世界一短い文学だが、思いが集まれば大きな言霊になり、停戦への一助になるのでは」という思いから「Haiku for Peace」というプロジェクトを立ち上げ、世界に投句を呼びかけた。すると四十八か国から千を超える句が寄せられた。その中にウラジスラバさんの句があった。 
興味を持った黛氏は早速連絡を取った。一九九九年、ハルキウ生まれのウラジスラバさんは十四才で芭蕉や蕪村に出会い、作句を始めてすでに七百句を詠んでいて、句集を出すのが夢だと知った。そこで黛氏は仲間の女性俳人と翻訳チームを結成。七か月かけて五十句を選び、翻訳と推敲を重ね、この句集を刊行するに至ったのだった。
「さくらさくら離れ離れになりゆけり」(季語:さくら 春)
 二〇十四年、ウラジスラバさんが十五才の時の作。俳句を始めて間もない頃のみずみずしさがある。一方でこの年にロシアはクリミア半島を編入。ウラジスラバさんは「戦争の風は人間という花をさらにひどく散らしてしまいました」と振り返る。
「屋根の上歩いてみたき月夜かな」(季語:月 秋)
 「さくらさくら」の句と同じ年の九月に詠まれた句。少女らしいファンタジックな描写がいい。
「葉先へとそして空へとてんと虫」(季語:てんとう虫 夏)
 二十一才の作。オーソドックスな写生句でありながら、ウクライナの景色を重ね合わせると、ウラジスラバさんの個性が見えてくる。
「冬の星あふれて灯火管制下」(季語:冬星)
 「紙飛行機」の句と同じく、侵攻が始まった当日に詠まれた句。灯火管制で暗くなったハルキウの空には無数の星がきらめいていた。「恐ろしい戦争が、私に、窓からこんな美しい風景を見る機会を与えたわけです」とウラジスラバさんはその夜の錯綜した思いを自解する。
「街の灯の消えハルキウの星月夜」(季語:星月夜 ほしづくよ 秋)
 「冬の星」の五か月後に詠まれたこの句は、テレビ番組では「星の光。街の灯空に去ったよう」と紹介されていた。ウラジスラバさんは俳句の伝統の型を守って、一行目は五音節、二行目は七音節、三行目は五音節という具合にロシア語で詠んだ。それを黛チームが翻訳、推敲したわけだが、とても難しい作業であっただろう。それでもなんとかウラジスラバさんの句意を活かそうという丁寧な仕事ぶりは称賛に価する。 
「いくたびも腕なき袖に触るる兵」(季語:無し)
 この句は「公園に兵士幾度も触れる空の袖」として紹介されていた。痛々しい出来事を、俳句として昇華することに成功している。これもまた黛チームの手柄だ。もちろんこの景を詠み留めたウラジスラバさんの感受性の素晴らしさは言うまでもない。 
「うつくしき空より飛来ロケット我らに」(季語:無し)
「砲撃後看板などで通り分からず」(季語:無し)
 両句とも番組で紹介されたが、句集には未収録となった。それは黛チームの選句の誠実さの表れだと思う。「うつくしき空」は、一読、鮮やかな色彩が浮かぶ。「砲撃後」には「街が顔を失ったのです」というウラジスラバさんの痛切なコメントがあり、句の奥行きが大変魅力的だ。これらの句がいつか翻訳されることを願いつつ、今後のウラジスラバさんの作句活動を楽しみに待ちたい。 
来る二月で侵攻は丸二年、ウクライナは戦時下三度目の春を迎えることになる。つくづく世界の平和を祈りたい。
「蜘蛛の巣の向かうの空よ明日は雨 ウラジスラバ」(季語:蜘蛛 夏)  

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            連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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